高三27班というからには、その軍を率いる人物は当然、担任の暉哥である。暉哥がなぜ「哥(アニキ)」なのかといえば、顔立ちが若くて「爺(オヤジ)」と呼ぶには足りなかったからだけではない。それ以上に、暉哥には財界の領袖と極道の大物を思わせる気迫がひとすじ漂っていて、わたしたちはその筋の流儀にのっとった呼び名で呼ばざるをえなかったのである。
理科をすべて女性教師が受け持つという不思議な配置はさておくとしても、男性教師が英語を教え、しかも担任を兼ねるという稀有な組み合わせだけで、クラス中の知識欲と好奇心をかき立てるに十分だった。しかも暉哥の授業は旧套に縛られず、創意工夫と口から出まかせがしばしば飛び出すので、諸賢の笑い声は絶えることなく、同輩たちは語録を書き留める筆を休めなかった。それゆえ英語の時間ともなれば、クラスのだれもが首を伸ばし、目をそばだて、微笑み、ひそかに感嘆して、妙絶なりと思わぬ者はなかった(「伸頸、側目、微笑、黙嘆、以為妙絶」)。数か月もたたぬうちに、わが班の英語は一躍浮上し、幾度かの大試験で全校の栄冠を勝ち取った。
暉哥は人その名のごとく、万丈の光芒を放つがごとき徳行の主で、高山を仰ぎ見るような思いを抱かせた。授業前の暉哥はよく教壇に端然と立ち、木彫りの像さながらでありながら、眼球だけは一瞬も休まず、信じがたい速度で教室を掃射する。対偵察の特殊技能を持つ級友でさえ身の毛がよだち、おびえて挙措は忍び足になった。この威圧感を一つ挙げるだけでも、淵のごとく静まり山岳のごとくそびえる暉哥の風格は描き出せよう。
教え方に独自の境地があるとはいえ、暉哥の口癖はそれに輪をかけて見事で、数日かけてじっくり吟味してはじめて、その一端を窺い知ることができる。暉哥がことのほか得意としたのは「言うなれば」と「言っておくが」で、一日に十数回は口にする。「言うなれば、今回の試験はみな、まずまずの出来だった」「言うなれば、今夜の宿題は決して多くない」「言っておくが、うちには自分への要求がいまだ厳しくない者がいる」「言っておくが、この語彙は今年、間違いなくどこかで問われる」……この口癖の神髄を深く会得したのが夏雲傑君である。ある夜の自習が終わったあと、席へ戻る夏君は、隣席の張龍が騒ぎやまないのを見て、その背後に身をひそめ、だしぬけに、たっぷり節をつけて「言っておくが、おまえは恥というものがないのか」と一喝した。それは中空に轟く霹靂さながらで、張龍はおどろきのあまり重心を失い、床にすとんと尻もちをついた。折も折、ちょうどそのとき暉哥が手を後ろに組んで前の戸口から入ってきて、本物と聞きまがうこの看板の台詞を耳にするや、腑に落ちぬ顔で夏雲傑のほうを見た。幸い夏君は心臓が並外れて強い。席に着くと一言も発せず、まるで何事もなかったかのようであった。
そのほかに暉哥が強調したのは、何事も「心を込めて」やらねばならぬ、ということだった。高考の一か月前、廊下で音読にはげむ生徒たちの群れのなかを、暉哥はいかにももっともらしく、一人ひとり順に尋ねて回った。「今日は心を込めて暗誦したか、思考したか?」みな毅然とした面持ちで、肯定の答えを返す。それを聞いた暉哥は重荷を下ろしたかのように、満足げにうなずいて、手を後ろに組んで去っていった。「心を込める」にまつわるもっとも名高い一幕は、ある読解問題の解説で起きた。文章の大意は、ひとりの泥棒が盗みに入る前に経路を綿密に立て、手順を厳格に守り、一度もしくじったことがない、というものである。そこで暉哥の一言。「だから言っておくが、我々は何をするにも心を込めてやらねばならん。見たまえ、この泥棒は心を込めたからこそ、成功したのだ。」クラス一同あんぐりと口を開け、十八年かけて築き上げてきたおのれの価値観が正しかったのかどうか、疑いはじめたのだった。
暉哥は生徒の躾にもすこぶる一家言があった。ある日、わたしが宿題の束を運び終えて教室に戻ると、黒板に昼の課題についての注意書きが数点あったが、字がかすれて読めない。そこで隣席の孫皮(孫鑫)に尋ねた。孫皮は得意げな色を浮かべ、いままさに講釈を垂れようとしたそのとき、教室の後方から突如、雷が炸裂した。「言っておくが、無駄話はもうやめておけ。まるで井戸端のおしゃべり女だ。周りを見てみろ、おまえのように図に乗っている者がほかにいるか。」わたしは頭にかっと血がのぼり、机を叩いて立ち上がった。「宿題を訊いていたんです、無駄話じゃありません。」立たなければまだよかったものを、立ち上がって振り返ったとたん、驚きから怪訝へ、そして激怒へと変わっていく暉哥のまなざしに、まともにぶつかってしまった。暉哥は一喝した。「わたしはおまえのことを言ったのか?」内心ではとうに怖じ気づいていたが、それでも気迫だけは負けてはならぬと固く思い、「でも、ぼくをおしゃべり女呼ばわりすることはないでしょう……」と言い返した。暉哥の怒りは頂点に達し、戸口を指さした。「つべこべ言うな。まず出ていろ。」頭のなかで轟音がひとつ鳴り、これはただではすまぬと悟ったわたしは、無実だと言わんばかりの顔をつくって教室を出て、戸口でうなだれて反省した。暉哥はわたしに構わず、手を後ろに組んで教室のなかを幾めぐりかし、待つ身のわたしは焦りのあまり、手をどこへ置けばよいのか、どちらの脚で立っていればよいのかもわからなかった。ずいぶんたってから、暉哥は眼鏡を押し上げ、後ろの戸口からゆっくりと歩み出てきた。
出てきた暉哥がわたしに向けた第一声はこうだった。「言うなれば、わたしはかつて生徒を二人、退学にしたことがある。」わたしの心の防壁は一瞬にして崩れ落ち、無実げな色は跡形もなく消え、満面の悔悟に置き換わった。「先生、さっきはかっとなりすぎました。ぼくが悪かったです」と、悔やんでも悔やみきれぬ体で答えた。言い終えて、そっと顔を上げ、相手の顔色を盗み見る。そう易々と赦してはくれまいと思っていたのに、あにはからんや、暉哥の面差しは水に溶けていくちり紙のように、みるみるやわらいだ。「言うなれば、いまのおまえの態度は、なかなか良いほうだ。」わたしはすかさず調子を合わせた。「先生、もう二度としないと誓います。」すると暉哥はしばし呆けたのち、手を振った。「なら、もう行っていい。次は気をつけろ。」言い終わると身をひるがえし、こうべをわずかに垂れた。その注意は一瞬のうちに、階下いちめんに広がる青々とした樹と翠の蔓(「青樹翠蔓」)の織りなす心打つ景色へ移ってしまったらしい。ありがたく思う一方で、わたしはいささか腑に落ちなかったのだが、それもうやむやのままになった。
英語の授業における暉哥は、生徒の暗記の潜在力を搾り上げる名手だった。学期のはじめ、問題用紙のうえに目を引く単語を見つけるや、眉はたちまち八の字によじれ、背中が盛り上がり、二本の指を揃えて天に向け、続けざまに三度突き上げる。「よし、この単語は高考語彙だ。出題される頻度が非常に高い。しっかり覚えておけ。」ときおり高考では問われない単語に出くわすと、暉哥は頭を前へ傾ける。「この単語は高考語彙ではない。だが、重要か、重要でないか?」当然、幾人かの女子がうんうんとうなずいて肯定の意を示す。すると暉哥はすかさず、当然の道理だと言わんばかりの表情に切り替える。「ならば諸君、同じようにしっかり覚えたまえ。」もっとも奇妙なのは「しっかり覚えろ」と言うときの暉哥の面構えで、眼光は人に迫り、唇は四角く開かれ、手はといえば九陰神功の起手の構えまで繰り出していて、威風堂々たるものであった。
同じく、これほどの強度で搾られている以上、暉哥はむろん、わたしたちの実力に絶大な自信を抱いていた。書き取りのときの暉哥はわき目もふらず、口から一条また一条と語句を繰り出す。そして書き取りが終わると、しばしば痛恨のきわみといった顔になるのだった。「今回の書き取り、大多数の諸君は非常によくできていた。満点だ。だがごく一部に、非常にひどい者もいる。おそらく一つ二つ間違えているだろう。」初めて聞いたときは、思わず震え上がった。まさか一つ間違えたわたしは、もう下から数えたほうが早いのか? 授業のあとで周りに訊いてみると、なんのことはない、全問正解の者などひとりもいなかったのである。
英語教育に対する暉哥の深い理解は、一句に要約できる。すなわち、単語を覚えるより文を覚えよ、文を覚えるより文脈を覚えよ。それゆえ暉哥はしばしば、文や文脈を単語の「家」にたとえた。暉哥はたいてい一つの長い難文をじっと見据え、それから視線をひとしきり漂わせ、最後に三列目で頭を撫でまわして悦に入っているひとつの影に留めて、指名する。「張帥、この文を訳してみろ。」張帥ははっとして頭を撫でる手を止め、ぶるぶる震えながら立ち上がり、二言三言口ごもったきり、あとが続かない。暉哥はたいそう腹を立てた。「まず座れ。人がどう言うか聞いてみろ。何楽為!」何楽為も折あしく頭を撫でている最中で、しかも口の端には張帥を嘲る弧を浮かべていたが、名を呼ばれるや、あわてて立ち上がり、立て板に水のごとくでたらめを並べた。顔を上げて暉哥の反応を窺おうとしたところ、暉哥は驚愕の色を浮かべた。「この文がそんなに難しいか? ほかにできない者はまだいるか?」一同、誰も声を発しない。暉哥は恨めしげな顔になった。「見ろ、クラスでおまえたち二人だけだぞ、これができないのは。」むろんこれは暉哥の人選の誤りであって、もしわたしが当てられていたなら、結果はまた別の様相を呈していたはずである。かくしてわたしたちは「文脈」の思想を堅持し貫徹し、ついに高考の英語では、なんと数十人もの級友が百点余りを取ったのだった。
暉哥はまた、批判的思考を必ず持てと教えた。この事をやるのに何を差し出すのか、役に立つのか、効率は高いのか、と。たとえば江蘇省の08年高考改革による「3+2」方式(国語・数学・外国語の三教科は合計点で順位づけし、選択二科目は比率で区切ってA、B、C、Dの等級をつける)について、暉哥はしばしば、鉄が鋼にならぬのを恨むといった面持ちを見せた。「批判的思考を持てと常々言っているが、諸君はどうやら、それを学習に応用していないようだな。」このとき級友たちはみな腑に落ちぬ顔で、頭を上げて高説を静かに待つ。すると暉哥はお決まりの弁舌を開始するのである。「言っておくが、諸君のなかには、選択科目という重荷を捨てればもっと遠くまで行ける者がいる。諸君の国語・数学・外国語は全省の上位10%、いや1%に入っている。それなのにいまは、選択科目でBを取るための上位60%のために、頭を焦がし額を爛れさせて奔走している。これは自分の格を下げることではないのか?」再三の煽動ののち、はたして一群の勇士が担任の名を借りて公然と選択科目の宿題を放棄し、その報いは言うまでもなく筆舌に尽くしがたいものだった。だがよくよく考えれば、この理論もまるで道理を欠くわけではない。まさに暉哥の言うとおりである。「言っておくが、390点で二つのB。それで何か問題があるか? わたしは問題ないと思う。同済大学なら、おまえを入れるのに十分だろう!」
暉哥の「選択科目放棄」政策を語るなら、胡哥(胡象鑫)が典型的な被害者のひとりであることは疑いない。ある週例テストで、胡哥は手の赴くままに力を発揮して物化で二つのAを取ったが、国語・数学・外国語は思わしくなかった。そこで暉哥は面持ちを重くし、胡象鑫に懇々と説いた。「胡象鑫よ、言っておくが、おまえの物化はもう十分に良い。たとえ勉強しなくても、高考で最悪でも一つのAに一つのBだ。」聞いた胡哥はいたく感動し、それからの数週間、物化の宿題は筆が飛ぶように速く、みなの驚異のまなざしのなか、十数分で一気に書き上げることもたびたびだった。正答率は知るよしもないが、その得意満面のさまを見れば、悪いはずがないと知れた。ところが直後の大試験で、胡哥はなんと一挙に二つのCを獲得し、クラス中が沸き立った。暉哥はその後のホームルームでわが班の学風を怒鳴りつけた。「言っておくが、物化で二つのCを取っても構わん。だがうちのある者ときたら、まさか本当に二つのCを取ってくるとはな?」これより、暉哥の言葉には時に前後の矛盾や抜け漏れがずいぶんあって、鵜呑みにはできないということが、級友たちにもはっきりしたのである。
夏の夜には、湿りを帯びたやわらかな風が草の香を巻き込んで、戸口のあたりを吹き抜けていくことがあった。人波を分けて外へ出ると、暉哥がいくらか猫背ぎみに欄干へもたれ、眼鏡のレンズをかすかに光らせているのを、よく見かけた。当時のわたしは、いくらかおざなりに先生へ別れを告げ、それから嬉々として、この高三の灯りの海から逃げ出すのが常だった。あるとき一度だけ、自転車の鍵を忘れ、教室へ戻ったときにはもう十時十五分だった。教室ではまばらな幾つかの影が本やプリントを片づけていて、暉哥はどこか放心したように「高三(27)」の班名プレートを見つめていた。鍵を取り、急いで階段を下りようとした目の端に、暉哥が眼鏡を押し上げ、襟元を整え、背中を波打つようにひとしきり盛り上がらせてから、ようやく立ち去ろうとする姿が映った。
(つづく)