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No.008

君子、大水を見れば必ず観る

中国語原文からの翻訳 — 原文を読む

水は、色なく味なく臭いなく、形なく相なく声もない。岸に随って形を成し、流れて滞らず、高きと低きとを択ばず、柔和にして争わない。春秋の世の孔子が「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」と連想を語り、後漢の郭林宗が「之を澄ませども清まず、之を擾せども濁らず」と譬え、清の魏環溪が「君子は水の如く、小人は油の如し」と嘆じたように、古往今来、「水」は智慧、度量、美徳などの象徴として、あまりに多くの人文的な意蘊と審美的な内包を担わされてきた。その集大成はといえば、おそらく『荀子』に載る、孔子と弟子・子貢との一段の対話をおいてほかにあるまい。

孔子、東流の水を観る。子貢、孔子に問うて曰く、「君子の大水を見れば必ず観る所以の者は、是れ何ぞや」と。孔子曰く、「夫れ水は大にして、遍く諸生に与えて而も為す無きは、徳に似たり。其の流るるや埤下し、裾拘として必ず其の理に循うは、義に似たり。其の洸々乎として淈尽せざるは、道に似たり。若し之を決して行らしむる有れば、其の応ずるや佚きこと声響の若く、其の百仞の谷に赴きて懼れざるは、勇に似たり。量を主りて必ず平らかなるは、法に似たり。盈つるも概を求めざるは、正に似たり。淖約にして微に達するは、察に似たり。以て出で以て入り、以て鮮絜に就くは、善化に似たり。其の万折するや必ず東するは、志に似たり。是の故に君子は大水を見れば必ず観るなり」と。

孔子が「至聖先師」「万世師表」と推し仰がれるのも無理はない。『荀子』の伝える観水の感慨は、水の文化のあらゆる位相をほとんど覆い尽くし、森羅万象、包まざるところがない。孔夫子の眼には、浩々湯々たる流水は、あまねく万物に恵む徳行と映り、九曲の回旋は、四方に周く行きわたる道義かと見え、奔涌する喧騰は、一往直前の勇力さながらに、鏡のごとき波の平らぎは、鈞を秉り軸を持する法度を思わせ、微に入り細を穿つ潤いは、世間を見通す上天にも比すべく、万物を洗い清めるはたらきは、風俗を敦くし人心を励ます教化に通い、東流して海に入る姿は、百折不撓の意志そのものであった……

中国の文化典籍をひもとけば、およそあらゆる史書文献に、水の文化の豊かな内容が湛えられている。「水」を描き、誦し、詠うことは、代々の文人墨客の筆に、いにしえより衰えぬ文学の母題として、また歳月を経ていよいよ新たな文化の体認として受け継がれてきた。これは決して方枘円鑿の無理な当てはめでも、郢書燕説の付会でもない。国雅・楚騒から漢賦・楽府へ、さらに唐風宋韻、明清の流変に至るまで、情を描き意を写すにあたって、水によって勢いを得、水を借りて志を言い、水をもって情を伝え、水に仮りて韻を取らなかったものはない。あるいは「蒹葭蒼々、白露霜と為る。所謂伊人、水の一方に在り」の纏綿たる恋を抒べ、あるいは「仍ほ憐れむ故郷の水、万里行舟を送るを」の蓴鱸の思いを託し、あるいは「桴に乗りて南海に入る、海は曠くして臨むべからず」の失意の怨みを寄せ、あるいは「君に問う能く幾多の愁いか有ると、恰も似たり一江の春水の東に向かいて流るるに」の家国の悲しみを発し、あるいは「百川東して海に到る、何れの時にか復た西に帰らん」の哲理の弁を啓く……経を叩き史に問い、山に朝し水に謁して、先哲前賢の白袍が歴史の迷塵のうちに翻す弧線を尋ねゆけば、千年を馬で駆けぬけてきた身影が、文化の山巓に屹立して微動だにせず、山水のあわいでしきりに髭を撫でて微笑んでいるのが、見えるような気がするのである。

概していえば、中国文化における水の意蘊は、虚明澄澈にして惝恍迷離。これを瞻れば前に在り、忽焉として後ろに在り(瞻之在前、忽焉在後)、近づけば得たかと思ううちに、手を握ればすでに離れている。まさに寒山子のいう「微風幽松を吹き、近く聴けば声愈々好し」(微風吹幽松、近聴声愈好)のごとくである。「幽松」との距離が縮まってゆけば、あなたはやがて松の樹のなか、風の音のなかへと歩み入る。そしていつしか、あなた自身がそよぐ一縷の微風となり、微風の吹き過ぎるにまかせる一株の松となる。私の見るところ、流れる水の智とは、清らかに澄んで濁りなき、温潤円融の禅的な悟りであり、変に処して驚かず、縁に随い運に任せる闊達な境地であり、自ら渓谷を切りひらき、春燕の羽を差しかわして飛ぶがごとき叡智の灯なのである。

張愛玲はかつて言った――人生は一襲の華美な袍であり、虱がびっしりと這っている、と。銭鍾書もまた、「永遠に楽しい」という言葉は、実現しえぬほど渺茫としているばかりか、成立しえぬほど荒謬である、と嘆じた。現実の中国は八字に約められよう――「新旧衝突、東西激突」。すなわち新旧文化の衝突であり、東西の価値観のぶつかり合いである。人と人とのあいだには、欲望と浮つき、拝金と逐利の荒んだ気が立ちこめ、権門の驥尾に付さんとする者は、羶に付く蟻のごとく、臭を逐う蠅のごとくに群がり、社会の主流の認識には、『三体』の描く黒暗森林の法則さながらの残酷さが充満している。道すがら数え尽くせぬ紅灯緑酒、紙酔金迷を前にして、人々の迷いと喪失は、往々にして得たものに比例する。水のごとくに人と為る――一見玄妙にして測りがたいようで、実は手の届かぬ高みにあるわけではない。水はよく万物を利して、しかも世と争わない。五行のうちにあって、水には金の眩さも、木の聳え立つさまも、火の熱烈も、土の厚実もない。それでいて、灼けた金属を冷まし、航く木の船を載せ、燃えさかる焔を消し、広漠たる大地を潤すことができる。君子はまさに水に法を取って孜々と倦まず、担うべきを担い、下ろすべきを下ろし、初心を忘れずして、初めて始めを終わりまで全うすべきなのである。

精神の次元を限りなく高くする話はさておき、政治もまた水の文化から養分を汲むことができる。『国語』に云う、「民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし。川壅がりて潰ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦た之の如し」と。唐の太宗が臣下と治国の道を論じた折にも、「水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」という見方をたびたび引いては敷衍している。見るがいい――古往今来、いかに多くの官員が、江湖の遠きに処しては、ともすれば不満を腹に満たし、時弊をあげつらい、廓清掃討、匡時済世をおのが任と慨然として期しながら、ひとたび青雲に歩を進めて廟堂の上に居るや、気も順い、言葉も失せ、尊栄を安んじ享けることにのみ心を奪われてきたことか。それは山中の渓流が大河に注ぎこんだとたん、山にあったころの清越にして激揚たる声を失うのに似ている。いまの政治の生態を顧みれば、一部の官員は「グラスを掲げることは増え、大椀の茶を酌むことは減った」。官職が昇れば昇るほど、民の心からは遠ざかってゆく。廟堂に居る者が民衆を心に置くならば、民衆もおのずとその人を手に捧げ持つ。民情と民意に順い、民生と民利を改善し、民の憂いと困苦を解きほぐすことができなければ、「魚水の情」はやがて「水火相容れず」へと変わるのである。

われわれが精神の雲居から視線を下ろし、水の自然的属性と社会的属性とを見わたすならば、水は生命の源、生産の要、生態の基である。いかにして勢いに因りて善く導き、利に趨き害を避け、河は通じ水は暢び、江湖の安瀾なることを保つか。答えは言うを俟たない――水利である。では、真の水利とは何か。

水利とは断じて、工学の次元における幾つかの構造物や、自然の力に抗う手立てと技巧のみのことではない。水利を学ぶこともまた、図面と諸元に浸りきり、構造計算に執着する硬直した過程に堕して、水の背後にある文化を敝履のごとく棄て、理系男子めいた朴訥と鈍重に終始することであってはならない。真の水利とは、水をもって、心を利し、この世界を利し、この世の人々を利すること――水利人ならではの円やかな水の韻律と、薪火相伝の文化の豪気を咲かせることなのである。

明代の思想家王廷相に言がある。「心を潜め慮りを積みて以て精微を求め、事に随いて体察し以て会通を験し、優游涵養して以て自得を致す」と。精微、会通、自得――私の理想とする水利人にあっては、生命と学術とはかくのごとく二つにして一つ、渾然と天成しているはずのものだ。水の文化の光が堅固な理工の殿堂の外をあまねく照らすとき、円融一如の気息はあらゆる障碍を貫き、時代の核心にまで届くであろう。

これこそが水利の文化的意義であり、水の文化の精魂なのである。[1].

[1].執筆当時、筆者は山東大学2018年入学・水利学科の学生であり、原文はすでに学部の公式サイトに発表されている。

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