本文へ

No.011

『受益人』前瞻——受益人など、はじめからいなかった

中国語原文からの翻訳 — 原文を読む

11月8日、申奥が監督を務め、大鹏と柳岩が主演する『受益人』が、いよいよ劇場に登場する。幸運にも、全国で最初に完成した本編をその場で観た観客の一人となった。ならば、これほど注目を集める本作について、精確な先読みを記しておくことは欠かせないだろう。

大鹏氏の言うとおりである——「この場にいる皆さんがこの映画をどう語るか。それがこの先の世評となり、この映画が何であるかを決めていく」(原文「在场的各位怎么描述这部电影,后续它的舆论就会让它是什么电影」)。

オフライン初回試写の観客ともなれば、なおさら「育成モード」めいた責任を覚える。なにしろ先には『药神』『流浪地球』『哪吒』といった優れた国産作品がすでにあり、中国映画の資本構図に衝撃を与え、その勢力図を塗り替えることに成功しているのだ。2017年以降、本気で心血を注いだ映画は一本また一本と、鑑賞眼を備えた観客の敬意と後押しを少しずつ勝ち取ってきた。

優れた映画はしばしば現実に切れ目を入れ、耳を聾するほどの表現で、映画という文化だけがもちうる人文の芸術を差し出してくる。その衝撃は決まって長いこと頭の中を旋回し、劇場の扉をくぐって外へ出てもなお、あの強烈な非現実感を反芻させるのである。

『受益人』は申奥監督の処女作である。スクリーンの前の観客と距離ゼロで向き合い、創作過程のこまごまとした細部を分かち合うのも、彼にとって初めてのことだ。黒山のような場内の観客を前に、申奥は物腰こそ堂々としていたが、眉宇には期待がびっしりと書き込まれていた。処女作がみなに認められることへの強い自信は、見て取れるほどだった。

まず特筆すべきは、この映画の題材の優秀さである。製作総指揮の宁浩は、近年一気に頭角を現した「怪才」監督として、並みの製作サイドなら手を出すことすら憚る犯罪題材を少しも忌避しない。申奥が出した幾つかの企画のうち、「保険金詐欺」を撮るという選題はもっとも危険なものだった。**だが往々にして、題材という臨界の綱の上で舞い、もっともふさわしい切り口を見つけて深く掘り下げてこそ、評判の爆発は実現するのである。**実際、18年の『药神』も同じように時代の弊害へ直に切り込み、この社会の現実を余すところなく観客の眼前へ広げてみせた。**それゆえ『受益人』は、題材の衝撃力という点で、国産映画のなかでも抜きん出た存在である。**宁浩が近ごろ力を注ぐ「坏猴子」計画に、確かに大きな構想と野心があることは見て取れる。

だが矛盾はすぐに立ち現れる。犯罪題材の映画である以上、悪役である主人公の、劇中での愛される度合いをどう釣り合わせるかが大きな問題となるのだ。この数年、主役のキャスティングで崩れた国産映画を我々は数えきれぬほど見てきた。観ながら悪役主人公に感情移入できないどころか、この主人公は語るに味気なく、面つきも憎々しいとさえ感じてしまう。

申奥の解決策はこうだ——悪役が人に憎まれるのなら、愛嬌のある二人組を連れてくればいい。**かくして、上昇期を走る黄金コンビ、大鹏と柳岩が『受益人』の主演男女となった。**実際、大鹏のあのへらへらとした笑い顔を目にして、それでも憎む気になれるだろうか。

**『受益人』における大鹏と柳岩の演技は、具体的にはどうだったのか。**誰もが大いに気にかけている問いに違いない。なにしろこの映像界の「新人」二人には、かねてから濃いレッテル貼りの傾向がつきまとってきた。大鹏はコメディ役者しか演じられない、柳岩は胸ばかり大きくて頭の空っぽなお飾りにすぎない、といった具合である。

実のところ大鹏と柳岩は、2016年の『煎饼侠』の時点で、人々の固定観念を破る試みをすでに始めていた。大鹏が演じたスーパーヒーロー「煎饼侠」は、喜劇の道化と悲哀の滑稽のあいだを行き来する複雑な人格の役どころであり、柳岩もまた日増しに地に足のついていく演技で、お飾りという帽子を少しずつ脱ぎつつあった。

**そしてそもそもの初めから、「脱レッテル」はそれ自体が一種のレッテル貼りである。**小デュマが意地を張って大デュマの強大な影響力から逃れ、独力で名を成そうとしたのと同じことだ。『明日之子第二季』では芸能界の御曹司たちが、親には頼らない、身についたレッテルを剥がすと言い放った。本当に自信が足りない者だけが、「脱レッテル」というレッテルで耳目と関心を集めようとするのである。

だから『受益人』の大鹏と柳岩は、「脱レッテル」の呪縛からほぼ抜け出し、より自信に満ちた自然な構えで、ただ純粋に最大の努力を尽くし、おのれの役をより完全なかたちで演じている。

二年前、『缝纫机乐队』済南キャンペーンの舞台挨拶で、大鹏は笑いながら、自分は『煎饼侠2』は撮らない、撮るなら『战狼3』だと言った。これは製作姿勢の転換である。映画人の立場から『战狼2』の現象級の成績を目の当たりにして、大鹏は知ったのだ——いまの中国映画市場は、革新と向き合う最良の時代をすでに迎えている、と。かくして、二年をかけてひそかに撮り込み、世を驚かせる時をじっと待つこの『受益人』が生まれた。

**大鹏と柳岩が本当に優れた国産映画の俳優へ育つために、いま何より必要なのは、『药神』の徐峥がやってのけたような、主演男優賞級の脱皮を一度遂げることである。**現場に入る前の大鹏は、重慶方言などひと言も話せなかった。重慶生まれ重慶育ちの男・吴海を演じるため、昼夜を分かたず稽古を重ね、わずか数ヶ月で、重慶人が聞いても粗ひとつ見つけられぬほどに重慶方言を仕上げた。よどみない重慶方言、幾層にも焼き込んだ浅黒い肌、そして底辺の小市民の骨身に染みついた卑屈さ。吴海という小人物の造形に、大鹏は十分に人を頷かせる答案を提出した。

大鹏は場内の熱心な観客に向かって、印象深かったという細部をひとつ語った。劇中の姿に扮してしまうと、おどおどと縮こまった猫背に足を引きずる立ち姿、目立たない背丈、極端に低い気配のせいで、彼の存在感は一気にゼロへ落ちる。監督が、いや撮影隊全体が彼を見つけられないことさえあり、実はそのとき監督のすぐ後ろに立っていたのだという。これは『黑暗骑士』でジョーカーを神の域へ高めたヒース・レジャーによく似ている。おのれの魂のすべてを演じる役へ注ぎ込んで初めて、劇中の虚構の人物を、現実の世界へ生き写しに刻みつけることができるのだ。

次に柳岩について語ろう。豊満な肢体で知られるこの女優は、これまで決まって大鹏とセットで出演してきた。2014年にウイルスのように広まった『屌丝男士』以来、大多数の観客の彼女への印象は**「大鹏が火をつけたセクシーなお飾り」**のところで止まっている。今日に至っても、ウィキペディアで柳岩を引けば、紹介も栄誉もほとんどすべてが、その美しい顔立ちと人を圧する肢体をめぐるものだ。だから柳岩が芸能界で自分の天地を切り開くために本当になすべきは、地に足のついた演技で自分を証明すること、それに尽きる。

事実が証明した。配信者・岳淼淼を演じた柳岩は、全編を通してかなり高い水準の出来を保ち、生配信でメイクを落とす場面と、最後に海を見る場面の二つでは、まさに演技が炸裂した。申奥監督は振り返って明かしている。脚本の上では、このメイク落としの場面に明確な台詞も具体的な指定もなかった。柳岩が目の前で一分あまり自由に演じてみせたところ、危うく泣かされかけて、慌てて止めたのだという——これほど満ちた感情は、必ずやカメラの前まで取っておき、そこで残らず咲かせなければならない、と。

**突き詰めれば、「メイク落とし」の柳岩は岳淼淼という役を演じていただけではない。それは地のままの出演でもあった。かつて配信者として歩んだネット有名人の路線のために、そして三十八年のこの人生のために、心の底から一度化粧を落とした——だからこそ、これほど語り草になる名場面が鋳上がったのである。**際どいダンスで金を集めるセクシー配信者だった岳淼淼は、夫のために、この「正統」とは言いがたい職業をきっぱり捨てる決意をする。メイクを落としていくあいだ、柳岩の表情の統御は頂点に達し、過去へ別れを告げる者の未練と毅然を、あますところなく演じ切った。

そして幕切れ、岳淼淼が望遠鏡ごしに、海辺でぼろをまとった吴海を見つけたとき、**その表情は微妙で複雑なものへ変わっていく。ときに唇を引き結び、目尻の弧線をかすかに揺らし、目には涙が光るようでいて、懸命に感情を抑え込んでいるようでもある。**この炸裂した演技に、私は『无双』の最後を思い出した。優雅な姿勢を崩さぬまま、立ちこめる煙のなかで涙をきらめかせる张静初。二つの場面は、映画の締めくくりと昇華という角度で異曲同工の妙をなしており、申奥が骨組みを精緻に磨き込んでいることも十分に見て取れる。

特筆すべきは、『受益人』が表現形式と隠し玉に見せた新機軸である。たとえば結末、岳淼淼が面会に訪れ、吴海がすべてを打ち明けるくだり。本来なら無味乾燥な決まりごとの手続きになるはずのところへ、ドライブレコーダーのフラッシュバックを織り込むことで、目にも耳にも新しく、先行するレコーダー視点との呼応も生まれた。伝統的な対話の語りに、もう一つの次元の表現の張力が与えられたのである。大鹏によれば、申奥監督は劇中に相当な数の隠し玉を仕込んでいる。「小狐仙」の投げ銭ランキング一位「金总」が実は小学生であること、公開日の11月8日が実は柳岩の39歳の誕生日であること等々——新しい発見をした読者は、コメント欄で自由に語り合ってほしい。

続いて、『受益人』の物足りなさについても語っておこう。なにしろこれは主旋律の喜劇映画であり、実際の観た印象でも結末でも、市場への一定の譲歩と妥協がなされている。「保険金詐欺」の原型となった事件では、あの女性に岳淼淼ほどの幸運はなく、ついに生きて逃れられぬまま、この詐欺犯罪の生贄となった。計画が終始脱線して思うように運ばないこと、警察の追跡がかえって吴海に完全にしてやられる喜劇的な演出、結末で海辺へ来た吴海が岳淼淼の目にとまるという理想化された処理——いずれも深く味わうには堪えない、いささか蛇足で気恥ずかしいものである。

恋愛という主題の上で『受益人』が強調するのは、「腹に一物から、寄る辺なき相身互いへ」(原文「从心怀鬼胎到相依为命」)である。これは反目する男女がやがて結ばれる喜劇の古典的な筋立てであり、映画の印象を活き活きとさせる常套手段でもある。だが申奥のこの処女作では、避けがたく筋を人の手で押し進める場面が存在し、わざとらしく磨き込んだ痕跡が少なからず残り、そのために真実らしさと合理性の面で割を食った。最も典型的なのは疑いなく岳淼淼の人物像で、その性格は愛らしさが過ぎていささか現実味を欠く。吴海との初対面のあとの「クズ男、逃げるな」、電動自転車ほしさに唐辛子の早食い大会へ出たこと、決行前夜の吴海への度重なる譲歩。こうした細部の扱いにはいずれも未熟さがあり、**「情に訴えるために情に訴える」**ものになってしまった。配信者という新興の業界への思索においても結局は一手及ばず、これもまた、いまの申奥監督と一線級の監督とのあいだに客観的に横たわる距離である。

最後に、少し高いところの話をしたい。**『受益人』の価値の方向づけはやや単一である。**患者、製薬会社、警察がいくつもの立場で衝突し合い、しかも是非を容易には裁けない『药神』に比べ、『受益人』は白黒のくっきりした紋切り型の人物によって、深みの限られた脚本の語りをかろうじて完走したと言うほかなく、この複雑な題材に潜む、より深い層の人間性の駆け引きを掘り当てるには至らなかった。

題名の『受益人』は、核心の小道具である「保険証書」の末尾、受益人の欄から取られている。観客を階級という次元の深い思考へ誘っているかのようだ——**この茶番の受益人は、いったい誰なのか。**社会の底辺で圧迫され続ける小人物の吴海は、冒頭から子どもに「人としていちばん大事なのは正直であることだ」(原文「做人最重要的就是诚实」)と教えることを心得ている。露出で稼ぐ配信者だった岳淼淼は、結婚ののち「賤業を棄てて堅気に戻り」、妻としての責めを完璧に担う。かたや金融エリートの钟振江は、社会の上層に身を置きながら千万の金を着服し、法を知りつつ法を犯す。

映画全体は、二つの階級を徹底して対立させ、滑稽と荒唐無稽のやり口で上層階級の醜悪を暴くことに力を注いでいる。だが否定しがたいのは、小人物の善良さについて、映像作品にはねじれた美化が存在するということだ。底辺の民衆はそもそも、富裕階級と一合すら打ち合える相手ではないし、現実世界の露出で稼ぐ配信者に、岳淼淼のような思想の目覚めなどありえようはずもない。だから、受益人は誰かという問いに、実のところ答えはない。最初から最後まで、受益人など、はじめからいなかったのである。

← 随筆