本稿は、転専攻の総括の第一篇である。
本文に入る前に:
五月と十二月は、多くの大学で転専攻の節目にあたる。山東大学では、前者は難度のより高い、同学年のままの転専攻であり、後者はより多くを犠牲にする、学年をひとつ下げての転専攻である。
私たちは誰もが首を長くして待ち、人生の書き換えをひそかに期している。専攻を選び違えたとき頭に入り込んだ水は、とうの昔に、厭いながらその専攻を学ぶ日々に流す涙へと変わっていたからだ。
願わくは、あなたの主体的な意志が、あたり一面に立ちこめる催眠めいた大気を切り裂く利刃となりますように。熟慮の末に未来を定義し直す決断を下し、そののちは、心から愛する領域へ向かってひたすらに突き進んでほしい。この先の旅路に、これほど分かりやすい転換点は、もうそう多くは残されていないのだから。
巨大なサンクコストを捨てるには、それ以上に巨大な勇気が要るとしても。生活がしばしば非合理なマルコフ過程の様相を呈するとしても。人生がたしかに高度に経路依存的であるとしても。
機会をつかみ、命がけの跳躍を。未来の絵巻はいつだって、あなた自身の手もとから繰り広げられていくのだ。
去年の十二月二日の夕暮れ、青いチェックのシャツを着た、髪のぼさぼさの男子学生が、リュックの片方だけを肩に掛け、ぼんやりと洪家楼の七号楼を出た。空の果てには夕焼けがひと群れまたひと群れと燃え、幾重にも折り重なって南へと湧き返り、砕け散った紫の銀河のように、彼の丸眼鏡のレンズを、二輪の咲き誇る三色菫に染め上げていた。
結果はまだ分からなかったが、面接の最後に日本語科の教授が見せた笑顔は、私に大きな慰めをくれた。七号楼の朱塗りの木の扉の前には、木々に覆われた小径が延びている。石畳の上をおぼつかない足どりで歩きながら、入念に準備を重ねたこの間の日々よりも、かえって何かを失ったような茫然とした心地がした。大事を終えた解放感もなければ、昼夜を忘れた放縦もない。一年半のあいだ心にのしかかっていた石が、ようやくゆっくりと粉々に崩れていく。ほど近い公教楼からは書を読む声が流れてきて、私は人文の沈香の清雅なかおりを嗅ぎ、あの湧き水のように流れる愉悦を感じながら、ふいに、工学部生としての重荷がほどけていくのを覚えた。目の前の人文の世界は、十キロ先の理工系の辺郊とは、もう同じではなかった。
ここ数日、みなが試験週間へ向けて慌ただしく備えるのを横目に、モーメンツには豚を屠るような悲鳴が絶えず流れてくる。当の私はといえば、数百キロ離れた実家の、幅一メートル八十の柔らかな大きいベッドに心地よく寝そべりながら、いくらかの寂しさと心残りを覚えずにはいられなかった。半年に一度のこの大学の一大行事が、ついに一度だけ、私と無関係になったのだ。部屋の内にも外にも、快活な空気が満ちていた。
学籍が外国語学院に移ると、材料力学、工程測量、構造力学といった一連のハイレベルな理工系科目は、そろって選択単位に変わった。これほど学問を愛する私であっても、これらの古典的な工学科目と人生を語らいつづける縁は、もう無いということだ。平たく訳せばこうなる。「四大名著」ならぬ「四大名落」? はい、さようなら。何もかも選択科目になったのだ。まさか、それでもなおこの選択科目を意地で通らねばならぬ、と本気で思う者はいるまい。
かくして十二月中旬、学年を下げて移った同輩の一群は、遺憾ながら期末試験のプレッシャーを失い、人生始まって以来もっとも楽しい冬休みに突入した。eスポーツ選手たちはS10新シーズンのランク上げの征途につき、恋人たちは一日じゅうべったりと寄り添って胸焼けするほど甘く、帰心矢の如き者はといえば、早々に切符を買って家路についた――たとえば私だ。転専攻という人生の針路の激変を経たあとでは、家族の笑顔を見ることほど、心を開かせてくれるものはない。
転専攻というのは、大きいといえば大きくない。歴史の歩みに比べれば、個人の発展の軌跡など、おそらく決定的な役割を果たしはしないのだから。だが小さいといえば小さくもない。なにしろ伝統的な工学部生による、文系への命がけの跳躍なのだ。
見ての通り、私は水利へ回されて入った口で、この土建学院すら自分で選んだものではなかった。入学から何日目の夜だったか、寝返りばかりで眠れず、起き上がって済南の秋の月を眺めていると、この工科キャンパスのほど近くから、男の叫び声がかすかに聞こえてきた。月光は冷たい風を巻き込んで、机の上に開かれた『土木工程制図』を照らし、夢とも現ともつかない、巨大な非現実の感覚が私を打った。「勧退専攻」(在籍する者に退学を勧めてくるような専攻のことだ)と辺鄙な工科キャンパスを、心から愛せる人間などいない。その瞬間から、私はこの青春の逃走を企てはじめた。
転専攻する人間の内心は、実のところひそかに愉快なのである。とりわけ元の専攻の教師から、専門の勉強に身が入っていないと咎められるときなど、頭を垂れて神妙に頷きながら、腹の底では愚者を装って虎を食らう算段を巡らせ、間近に迫った逃走の支度を進めればよい。転専攻の面接で、教師たちの最初の問いは決まってこうだ――なぜ転専攻を? 先達は口を揃えて教えてくれる。くれぐれも元の専攻が嫌いだと言ってはならない、教師にその嫌悪を悟らせてはならない、少なくとも表に出してはならない、と。だから私も当然、水利への好悪については口をつぐんだ。だが今となっては、ただ一度あるきりの転専攻もすでに一段落したのだから、遠慮なく、思うさま語らせてもらうまでだ。
数日前、スーツケースを引いて興隆山の十四号楼を出るとき、私は振り返って、寮の赤い外壁と、まわりに生い茂る緑とを眺めた。枝葉のあいだから落ちる金色の斑が、指のあいだで揺れる。馴染みすぎてかえってよそよそしいその景色に、私は首を振り、重い箱をやっとの思いでタクシーのトランクへ持ち上げた。エンジンがかかる。私の目はバックミラーに釘付けになった――遠ざかっていく浴場兼スーパー、小さくなっていく天工湖と情人坡、にじんでいく先志大道。そのときになってはじめて、はたと気づいたのだ。なんだ、私は興隆山を、そこまで憎んでいたわけでもなかったのか。
GALAは『骊歌』でこう歌う――「人生はひと続きの擦れ違い、願わくは蹉跎することなかれ」。幼いころの私にそんなことが分かるはずもなく、覚えているのは、夏の日が句点を持たないかのように長かったこと、特大サイズのサンデーが本当にいつまでも食べ終わらなかったことだけだ。けれど夏は結局三か月しかなく、大きなサンデーもホリデーセットのおまけにすぎない。なるほど、人生はひと続きの蹉跎であり、願わくは擦れ違うことなかれ、だったのだ。
だから人生は、絶えず大マップを切り替えつづけている。どの都市の大学を選ぶか、どの専攻へ転じるか、いつビザの手続きをして留学に出るか、未来の伴侶へのはじめての声かけ……こうした平凡な瞬間のひとつひとつこそ、実は、大マップを切り替えるたびの転送陣なのだ。
突き詰めれば、生命とは平均への回帰である。最終的なあなたは、必ず、欲望と能力とが合わさってできた、あの本当のあなたになる。巨大なサンクコストに縛られてはならない。願わくは、私たちの誰もが、一からやり直す不屈と、ひとり胸に燃やす孤勇の執念とを持てますように。
以前の私は、スラッシュ付きの一行で自分を語るのを好んでいた。INTJ/くも/文学青年/フロントエンド/eスポーツプロダクト/写真/水利。いま、このスラッシュ青年はとうとう水利の帽子を脱ぎ、水力発電所とコンクリートダムにまつわる日々は、ついに過去のものとなった。
それでは、あらためて自己紹介をしよう。
山東大学、外国語学院日本語専攻2019年入学、厉云越。